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甕棺だけではない⁉~弥生時代の墓制~1

初めまして、Rです。今回から趣味である古代史・古典文学等について不定期コラムを書いていきたいと思います。
駄文ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。
それでは、これからよろしくお願いします。



さて、皆さんは「弥生時代の墓制はどのような物ですか」と問われた際にどう返答するだろうか?
ある人は、「古墳」と答えるかもしれない。またある人は「甕棺」。もちろん、「わからない」と答える人もいるだろう。

「古墳」という答えは正しいようで、正しくない場合がある。
「古い墓なんだから正しいのではないか」と思う人もいるだろう。
しかし、教科書や日本史資料集等で「古墳」という言葉が使用されるのは古墳時代からで、それ以前の弥生時代ではただ「墓」と表記されることが多いのである。

それでは、「甕棺」はどうだろうか。
この答えは正しい。しかし、弥生時代の墓制のうちの一つにしかすぎない。

今回はそんな数多くある弥生時代の墓制の中から先に挙げた、甕棺墓について述べていきたいと思う。

1、甕棺墓
甕棺墓(かめかんぼ)は、吉野ケ里遺跡で発掘されたことで有名な弥生時代の墓制の一つである。
山川出版社、詳説日本史図録第3版によると、
「棺として製作した大型の甕に遺体をおさめ、土壙に安置した墓で、弥生前期~中期の九州北部地域に多くみられる。弥生時代中期が最盛期で、中国大陸・朝鮮半島との関係を示す青銅器などを副葬した墓も多い」(p20、3弥生時代の墓制より)
とされている。

ここで、一つ私の中に疑問が浮かんだ。
九州北部地域に多く見られるとあるにもかかわらず、多くの人が全国的にこれが見られると思っているのではないだろうか」と。

かくいう私自身も、そう思っていた一人である。
あくまで私個人の意見ではあるが、学校の授業では、「弥生時代といえば吉野ケ里遺跡だ」というように感じてしまうような表現が多かったように思える。
しかし、実際はそうではなくそれぞれの地域ごとに、その地域性のある墓制があったはずなのである。
にもかかわらず、それらが大きく取り上げられることは少ない。

それは、限られた授業時間の中で教えることは難しい事なのかも知れない。
しかし、取り上げられない物の中に古代史だけでなく、様々な事柄の面白さを見つけるヒントがあると私は考えている。

ちょっとした視点の変化で興味を持ってくれる人がいるはずであるからだ。

次回からはあまり知られていない、甕棺墓以外の墓制について述べる。今回も含め、次回からのコラムがちょっとした視点の変化にが役に立ってくれることを願いながら、今回のコラムを終わりたいと思う。




参考文献
「山川 詳説日本史図録(第3版)」2010年1月31日発行
「詳説日本史改訂版」2011年3月5日発行



ご覧いただきありがとうございました。




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